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2017年 山嶺を超えて

一般参加:(30代 女性)

冨獄両界峯入修行はたった四日間だが、四年分の人生に値するほど濃密な体験だった。
心に響く出来事を克明に綴れば、一冊の本が出来てしまうほどに! 素晴らしいものであったが、それでは読み手も書き手も大変なので、4項目に絞って記録に残す。

一、 かぐや姫

富士山には、神となったかぐや姫がいるという。

夕陽とともにたどり着いた富士山六合目は、あっという間に日が暮れて月の世界となった。
雲の衣をたなびかせた満月も美しいが、写真に撮るにはいまいちだ。未練がましく見つめていると、かぐや姫が囁いた。
真の姿が見たければ、夜中に抜け出しておいでと。
面倒くさいので「起きたらね」と囁き返す。目覚ましなんてかけない。妄想の声に付き合うほど酔興じゃない。熟睡するつもりが、なぜか夜中に目が醒めた。何度寝返りを打っても、もう眠れない。
しかたねぇ、とりあえず行くか。と上着を羽織って外に出てみれば、月はまさしく中天にかかり、雲一つない夜空に君臨していた。
──辺りに満ちる静けさ。清楚な光。研ぎ澄まされた冷気。霊峰富士にかかる満月。
神々の世界。
思わず、祈りの言葉が口をついて出た。
「日を拝み、月を拝み、大地に祈らんがために、私はここまで来ました」
六合目に着いたまさにその時、夕陽は、雲海を黄金に染めて沈む寸前だった。朝日と並んで荘厳で、あっという間に終わってしまう貴重な時刻。その奇跡のような瞬間に、私達を迎え入れてくれた。
そして、幻想のような誘惑に乗って来てみれば、月神は、天の中央の玉座に。
偶然ではない。ここには神がいるのだ。天に祈ればあっさり届いてしまう……いや、祈らなくても全て御見通しなのだ。あまりにも天に近すぎるから。
しばしかぐや姫を独り占めしていると、同室のYさんが、私が消えたことに気付いて降りてきた。さぞ不審に思ったことだろう、夜中に山小屋を抜け出して帰ってこないんだから。
そうしたら、ミイラ取りがミイラになった。
彼女も月に魅入られて、すっかり冷えてしまうまでかぐや姫を見ていた。上着もなく凍てつく寒さだったろうに、それでも長く月を見ていたのは、ここが聖地だと感じて離れ難かったからだろう。

二、 両界をつなぐ穴

富士の樹海を抜けて精進湖へ進む道には、たくさんの洞窟がある。
上と下の両方からその世界を体感して分かったことは、「この世界は穴だらけ」ということだ。
樹海を歩いていると、足元のあちこちに黒い闇がある。地下にある洞窟に繋がる穴だ。その穴を下から見上げれば、暗い洞窟に降り注ぐ一条の光が見える。
下界から、双(ふた)つの世界を繋ぐ穴を見つけるのは簡単だ。差し込む光で輝いているから。だが逆は難しい。落ち葉に隠され、苔に騙され、穴とは気付かず踏み込んで体ごと闇に堕ちてしまう危険もある。
この穴とは何か? かつて富士山の噴火によって、溶岩やガスの吹き出した痕だ。溶岩とはすなわち、地球のマントル。簡単には触れられない内側の世界。人間でいえば、心の中の世界。
樹海の穴というのは、外と内の世界を繋ぐものであると同時に、光と闇を繋ぐ通路なのだ。
そしてそれは樹海にだけあるのではなく、世界のあちこちにある……私の心の中にも。
この世界とそこに住む人々は、無数の毛穴のような小さな穴で外と内と繋がっていて、例えば九死に一生を得たり、末期だった病魔が突然消えたりする奇跡が起こるのも、あちこちに開いているこの穴を通して、神仏とつながるからではないのか。
穴はそこここにある。気づきさえすればいつでも輝く光と繋がれるのに、こちら側からは見つけにくい。人と神仏を繋ぐ、両界の穴。その存在をはっきりと感じた。
そのせいなのか、修業が終わってしばらくは、不思議なほど直感が冴えていた。きっと心の毛穴が開いていたんだろう。

三、 二十一日にして成就す

二十一と言う数字は、仏教では成就数と言われる。

私事だが、この修業に参加する少し前、不動明王が本尊の修験寺で結縁灌頂・一印灌頂を受けた。
知らずに申し込んだその日は、酉の年・酉の月・酉の日。不動明王と極めて縁が深い日である。
投花得仏という儀式でご縁を結んだのは、噂通り大日如来様だった。授かった一印も無論。
せっかくお不動さんのお寺であっても、選択肢はそれしかないのだ。少し残念に思ったが、儀式の後は極めて気分が明るく爽快だったため、前向きに「そもそも大日如来は不動明王と表裏一体だし」と納得できた。
その夜、変わった夢を見た。私の舌に、蟲が棲んでいる。退治しようと四苦八苦していると、いきなり黒い水を吐く、というものだ。
起きてすぐ意味が閃いた。あれは私の心の奥に潜んでいた舌禍という蟲だ。その毒を吐いた。だから儀式の後、あんなにすっきりした気分になったのだ。結縁灌頂という儀式は、ただの集客パフォーマンスではなく、本当に心身に作用するものだったのか。
──と驚き、密教の神秘に感動したのが三週間前。
富士での修行を終えて家に帰る道すがら、ふと気づいて指折り数えてみると……二十一日だ。
不動明王との御縁と印を夢見たが叶わず、大日如来と結縁してから。それから、今日はちょうど二十一日目の成就日にあたる。
そうか、物事というのは偶然に見えても、偶然ではない。順を追って誠実に進んで行けば、着くべきところにちゃんと着くのだ、と思い入った。

四、 タヌキの霊を連れて帰る?

を書こうかと思ったが、やっぱりやめる。四日間、借りていた引敷が手足の付いたタヌキ皮で、つい愛着を持って修行中に語り掛けていたら、帰宅後、うちの猫が「おまえは引敷か!」と言うほど付きまとって来たというだけだ。私の尻を取り囲むようにくっつき、身動きするとぎゅうっと腰に抱き着いて離れなかった。こんな奇行は初めてである。その猫が引敷タヌキと似た毛色だったので、息抜きに笑い話として書いてみようかな、と思ったが、くだらない話で時間を無駄にせず速やかに謝辞に移ろう。

この修行で最も素人だったのはきっと私だ。法螺も吹けないし、お経もいまいち知らない、人を助けて登るほどの体力も知識もない。出来ることは少ないが、せめて何かは役に立ちたいと思い、余分にプラス一の水や食料を持とうと思った。初日の降りしきる雨の中、初めはただ「満願したい!」とだけ思っていた自分の願いはやがて、「必ずみんなで満願する」という強い覚悟に変わっていった。家族のような結束が、深い山中で生まれた。
長い旅路を歩きながら考えた。この思いを、都会の真っただ中でも皆が持ち合えたら、きっと戦争も不況も潰し合いも自殺もなくなる。ジョン・レノンの『イマジン』のように。みな、持っている願いや能力は全然違うし、性格も違う。でもそれは、心を一つにする妨げにはならない。個性に沿った役割分担をすればいいだけだ。
修験という道は、そんな理想郷を現実にするために、競争社会の中で小さな光を放ちながら、進むべき方向を示す案内板(ガイド)として生きることではないのか、と思った。
とある先輩がおっしゃった。「海抜マイナス一メートルからの出発」。案内文には海抜0メートルからの富士登山とあるが、最初の水垢離で海に潜るから、実際はマイナス一メートルから始まると。
無性にときめいた。ゼロより悪い、地獄から這い上がってくるようなスタート地点でも、天を目指すことは許されている。そう教えられた気がして。
霊峰で浅間大菩薩(かぐや姫)に捧げた祈りは、下界に降りてこう変わった。
──天を拝み地を拝み、人を慈しまんがために、私たちは生まれ変わってこの世界へ戻って来た。
生まれ変わりの直前には、丸々太ったオオスズメバチという地獄の使者がやって来て、本当に死の恐怖を味合わせてくれた事。こんな恐ろしいレポートを書くと未来の志願者が逃げてしまうかもしれないが、まるで「お前には、死したのち蘇る資格があるのか?」と魂の底まで量るようだった。
私はもう一度、あの光に会いたい。
過酷な修行だからこそ、感謝が生まれ、積み重なって絆が生まれる。本当に日本一の修行を体験させて頂いた。宮元大阿闍梨に心からお礼を述べるとともに、奥様の献身には女神の光を見ました。坂村真民の『名刀のように』そのままの内田先達には様々な知識を教えて頂き、女性の先輩であるKさんの存在はとても心強く不安を消してくれました。そのほか、先達・先輩の皆様には様々な助けを頂き、人の温かさを知り、冷え性だった私の心の体温が少し上がったように感じています。
また、ここへの道を開いてくださった猿田彦の神様に陰ながら感謝を申し上げます。
有難うございました。