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冨嶽両界峯入修行 体験記

熊本大学 4年 宮元 美桂理

 今回は冨嶽両界峯入修行2回目の挑戦だ。一昨年と比べてかなりの成長を感じられた4日間となった。前回の反省を活かし1日目から小股で歩くことを心掛けた結果、2日目以降は足の負担を感じなかった。ひたすら歩くことだけに集中し、長い道のりを耐え抜いた。修行に参加すると毎回「無」になれる上、願い事が全て叶った経験があるため、日々の生活で疲れていた私はこの日を密かに楽しみにしていた。今回の修行では、3日目の「富士登頂」が一番印象に残っているため、ここではその日の出来事、そして感じたことを記録しようと思う。

3日目にしてようやく富士山5合目。天候は雨。歩き出した瞬間から既に息が荒い。この先、自分の体調を維持できるのかとても不安だった。とにかく息を吸って吐いての繰り返し。頂上に近づくほど辺り一面真っ白で吹雪となった。手足は凍りつき、自分の顔色が尋常ではないことが鏡を見ずとも伝わってくる。体の小さい私は何度も風に体を持っていかれそうになる。行者笠が飛んでいかないよう必死に耐えた。自分の安全を確保することに必死で、他人を心配する余裕などない。しかしそんな中でも前後から法螺貝の音が聞こえてくる。聞こえるたびに足に力が入り、私は大和修験者の一員なのだと強く感じる。風が一層強くなると、谷幹事長の掛け声に合わせ「懺悔懺悔、六根清浄」を唱えながら上る。不思議なことに、この念仏を唱えると体が一気に軽くなり、今過酷な状況にあることを忘れさせてくれる。そして、大きな声を出すことで体が温まった気がする。小休憩では、何かしら口にしようとリュックを開けようとするが、手が凍って開けることすらも容易ではない。何とか取り出せた蜂蜜をそのまま吸い上げ、体内に流し込んだ。生き返る甘さだ。手袋の中には水が入りキンキンに冷えているが風凌ぎのために、はめないよりはましだ。しかし、なかなか指が入らない。誰かに頼もうと思い周りを見渡すが、皆凍えていて話しかけられる状況ではない。誰かに弱音を吐いている場合ではない、そう感じ、自分の身は自分で守っていかないといけないと覚悟した。上ること約6時間、ようやく登頂した。一昨年とは全く違う景色が広がっていた。山頂は足元がアイスバーンになっていた。前回と異なり、上り切ったことに喜ぶ暇もなく、ただひたすら足元に注意しながら「ここで死にたくない」という思いで吹雪に逆らって歩いた。山頂から下る時、崖の端のアイスバーンで滑ってしまった。一瞬落ちると思ったが、自分はまだ生きていた。その瞬間からずっと「生と死」について考えていた。滑落することは簡単である。耐えることの方が難しい。そこを耐え抜いたが故の達成感は大きかった。足袋が濡れていることなんか、手袋が冷たいことなんかどうでも良い。生きていることに心の底から感謝したい。6合目の星観荘に1泊し、そこで食べる温かいご飯が体中に染み渡った。なんて幸せなのだ。最終日、挑戦が自信に変わっていた。

今回の富士登頂は「過酷」そして「限界」を超えていた。一緒に同行した修験者にしか分かることのできない辛さである。修行には天候によって過酷さにかなりの違いが出ると思っている。日本一高い山で吹雪に耐えることが一番の修行だと感じた。この雪山での修行を経験し、本当の修行の姿が見えた。上り始めてから一度も「もう無理だ、下りたい」と思わなかったのは、自分はできると信じていたからだと思う。冨嶽両界峯入修行2回目も無事サポートしてくださった皆様のおかげで満行することができた。根性があれば何事も達成できることが証明された。