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冨嶽両界峯入に参加して

天台宗 両子寺 寺田 豪淳

 この度はいつか登りたいと思っていた富士山に登るという機会をいただいた。しかも修験者として祈りを捧げながら海抜0mからの縦断という、こんな好機はない。 先輩の臨済寺 秦順恵師にお願いし今回のご縁をいただいた。

初日(10月7日)に宮元隆誠會長よりこれからの道のりで、静岡側は胎蔵界、山頂を超え山梨側は金剛界とこの両部を合わせて冨嶽両界峯入でありこれが日本一の峯入りである、という旨の説明を受けた。
また、富士山は10合目まであるが、それは高度の計だけではなく、自分の人生に重ねるように言われた。すなわち自分の人生を10に分けて、それぞれの高さと自分のこれまでとこれからを照らし合わせるようにするのだ。海岸での水垢離は母の羊水、そして産湯を浴びることを表す。富士市街を住民や商店街の祈願をしながら歩き、日吉浅間神社にて参拝。宝剣四方固め、参加者神職による舞を奉納し、所々で読経しながらひたすら山頂を目指す。道中終盤、暗い森を通る間はライトを照らしながら興法寺大日堂に到着。堂内で特別祈願回向の後、村山ジャンボ泊。

2日目(10月8日)
まだ周囲も暗い3時半に出立。村山古道を通りやっと1合目を超えて鬱蒼とした森に入ると、新客行として高い木々からぶら下がる太い蔓を會長が掴んだ。下部は繋がっていてU字のようになっている。これを登るのかと思いきや、なんとその上に立ち、両の蔓を掴んでブランコのように新客を立たせ、會長と数人で後方に高く引っ張りあげ、それを離した。まさに森のターザンのような巨大なブランコだった。山伏の格好で激しく前後に揺れている姿は天狗が森の中を飛んでいるようにも見えた。そして、私の番が来た。下は谷になっているので、思っていたより高く、後ろに引き上げた手を離されるとかなりのスピードと幅で前後にスイングした。大きな笑いとともに頭が真っ白になり、瞬時に小さい頃に親にこのようにして、遊んでもらったことがフラッシュバックした。1合目といえば小学生くらいだろうか、もう何十年も前の忘れていた記憶だ。その後森の中をひたすら歩いていると、両親から育てていただいた無償の愛に対する感謝の心が、こみ上げてきた。
そして、その感謝の念は今こうして歩くことができる身体を与えてくれた先祖まで遡った。とにかく感謝の一歩一歩だった。
私の現在地は4?5合目の間。苔むした大地と生茂る木々の植生がどんどん変わっていった。そうした忙しさの中に生きているということだろうか?後ろを振り返る間もなく過ぎ去って行った。 この日は富士山5合目に到着し、マイクロバスに乗って、出発地の村山ジャンボに戻り宿泊。
山頂への登頂は3日目(10月9日)。予報通り雨だった高度が上がるにつれ、雨は雪に変わり足元は滑りやすくなってきた。地下足袋で雪道を歩くのは初めてで、足の先や側面の体温が水とともに流れていくように冷えた。横なぐりの強風で笠を飛ばされないように、且つしっかりと歩かなければと思うが困難で、山念仏や會長の檄がなければ、一歩を踏み外しそうで心身を保つことが難しかった。
山頂は一面雪で、強風で視界も悪く残念ながら歩いた道のりを一望することは叶わなかった。西川大先達の導きにより、魔事なく登頂、下山することができた。しっかりとした身体で、富士山での経験も豊富で、本当に頼りがいのある真っ直ぐな人だと感じた。
私の未知のこれからはこの5?10合目周囲は霧や雨で見えなかったし、雪が降るほど寒かったがなんとかいけるということだろうか。 下山では高山病と思われる片頭痛の中足元を注意しながら6合目の星観荘までたどり着いた。

4日目(10月10日)
早朝雨の中星観荘を出立。日が昇り徐々にアスファルトの道が見えてきて人の住んでいるところに近づいた感じがした。腰ほどの高さの笹が生える森の木々の間を歩くのが気持ちよかった。しばらく行くと、黒い溶岩の上に苔むした大地に巨木が乱立する独特の雰囲気の樹海を抜けて、もう一つの新客行を終え、終着点の富士五湖のひとつに到着した。精進湖(しょうじこ)と特殊な読み方だが、もともとは「生死湖」だったのではないかと妄想しながら晴天を映す湖面に向かって最後の読経をした。道中の無事に対する感謝の念で一杯だった。ここが今回3泊4日の終着点だった。

精進湖はなぜ「しょうじんこ」と呼ばずに「しょうじこ」とよぶのかずっと心のどこかで引っ掛かっている。しょうじ=「生死」という字が浮かんでくる・・・。富士山山頂は十界でいえば一番上の「仏」の世界=不死(ふじ=富士)。静岡側より誕生して成長し、頂上で一度、仏界に到達し、山梨側ではまた生死の世界(人間界)に戻り普段の生活に帰るとも考えられるのではないかという妄想をしながら今回の道のりを反芻した。

今回の冨嶽両界峯入で一生懸命に歩き全感覚を使い、身体は疲れてはいるが何か自分の中より沸いてくるような感覚があった。内側のエネルギーというものであろうか?これは富士の御山からいただいたものなのか、修行を通じて得たものであろうか。これが會長がいうところの「生きるエネルギー」であろうか。普段は寺で生活しているが生活の中では得られない体験であった。自分は現在45歳、およそ人生の折り返し地点にいると考えていたが、人生とこの富士登山を重ねると、歩き始めは身体も軽かったが、山頂付近は高度も高いし、天気も荒れて一歩一歩が大変だった。しかしながら多くの方との助け合い、励まし合いによって何とかなることを感じさせてくれた。これからも何とかなるかもしれない。
参加者も宗派を超えて僧侶のみならず、神道、一般の方、また海外の方、女性など15名と一緒に修行した。修行に真摯に向き合う姿にはわが身を反省させられるところもあった。この点はこれからの課題になるだろう。しかしながら忙しい毎日の中、わざわざ自ら志願して集まった方たちと一緒に歩き祈らせていただくこの會は現代的なサンガであるなと感じた。本当に年齢とともに固まりつつある自分をまた掘り起こし、耕してくれたような体験だった。
これまで、今回の修行の他に地元の六郷満山峯入や、三度奈良、和歌山の大峰山奥駆け修行に参加したことがあった。その時には全ての荷物を自分で背負って歩いたが、今回は手厚いサポートを受けて修行に集中でき、本当に有難かった。エネルギー溢れる會長をはじめ奥様の香芳理様、マイクロバスを運転してくださった土屋様、手作りの印籠(カットバン入り)を皆さんにプレゼントし、影となり諸々のお世話をしてくださった渡邊様。取材をしながらもお手伝いくださいった三木様、この方たちのお陰なくしてはこの壮大な冨嶽両界峯入は満行することはできなかったと思う。心より御礼申し上げたい。