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令和五年度 大和修験会 富嶽両界峯入修行 に参加して ~富士山 山頂を越えるとき感じたこと~

真言宗 行光院 野尻 真弘

「懺悔、懺悔、六根清浄…」 令和五年十月九日、日の出の頃。 実際には日の出がいつなのか判らない。恐らく富士山全体がすっぽりと厚い雲に覆われて いて、どんより暗く、朝と夜との境目が曖昧になっている。 雲の中に居るのだから、常に雨であり、風も強い。麓の景色も全く見えない。 わずかに期待していた御来光を拝むことなど望むべくもない荒天のなか、高山病と思われ る体調不良で山頂へ出発する直前に五合目で離脱した一人を除き、我々大和修験会の一行 は西川大先達を先頭に富士山村山道八合目を過ぎたあたりを半ば喘ぐように山頂を目指し 一歩一歩慎重にゆっくり歩を進めていた。 薄暗いなか足元に雪が増え始め、寒さからなのか、酸素が薄いからなのか?多分その両方 で息があがり、濡れて冷えた足先の感覚は麻痺し、指先は凍え握力は失われている。 決して口には出さないものの、不安から恐怖に変わりつつあるのを恐らくは皆が感じ、支 配されそうになっていた時、谷幹事長の頭で山念仏が始まったのだった。 前日皆で唱え、山中にこだました同じ山念仏の声が、ここでは恐怖を振り払い、自らを鼓 舞せんとするかのような絶叫に変わるも、その声は激しい風雨に持っていかれ、あっとい う間に飲み込まれ、かき消されてしまう。 「声を出せ!」「気持ちで負けるな!」幹事長の活が入る。 懺悔、懺悔…山念仏の絶叫に呼応させようと、4名の吹螺師が順番に、必死になって法螺 を立てるが、息はあがり、寒さで唇は固まり、上手く響かせることができない。 己の不甲斐なさ。申し訳ない思いを抱きながら、次の吹螺師に託すしかない。 そうして山頂を意識できるぐらいの所までたどり着くと積雪がさらに増え、足元は不安定 となり、いよいよ風は強くなり、冷たい雨は雪交じりとなり、横から、下から打ち付けて くる。とにかく寒い。 そんな時「一所懸命に生きてるか?」「気合いを入れろ!」と宮元会長の強烈な一喝が聞こ えてきた。 はっ、と一瞬我に返ったようになって思い出す。「そうだ。もうすぐ頂上だ。そこはあの世 の世界(死後の世界)であり、そこへたどり着くことで己の生とその有難みを実感し、生 まれ変わるんだ。富士山とはそういう場所なんだ!」 想えば、鈴川海岸で思わぬ大波に流されそうになりながら水垢離で身を清めたのは二日前。 それから富士塚での勤行、祈願を経て吉原商店街では商店を祈願して回り、村山古道をひ たすら辿り、今ようやく頂上に迫るところまで来ているのだった。 そして今、生まれ変わるために「一所懸命に生きてるか?」が問われている。 ここに至るまでの水垢離、勤行、他者への祈願、そしてこの富士山峯入。そのひとつひと つ、一所、一所をはたして懸命に取り組んできただろうか? 自分が追い込まれた時、いや、追い込まれたと認識したときだけ、そしてあくまで自分の 為にだけ都合よく懸命になっていたのではないか? 他者の為に懸命になっていたか? 自ずと湧き上がるそれら自身に向けられた疑念から、すなわち、この修行を通して全てあ らゆる場面、一瞬一瞬が神仏の御試しであったのだと悟る。 「一所懸命に取り組まねば…。」 それから間もなく我々は無事山頂を越えた。 「懺悔、懺悔、六根清浄…」 こうして今回の富嶽両界峯入修行を無事成満し、帰ってきた今、山念仏で“懺悔”を繰り 返す意味が理解できたような気がする。 それは峯中で、一所懸命に生きなければ!と教えられ、だけれども、それを実行すること の厳しさ、難しさを改めて知ったからである。 一所懸命の、一所、一所の積み重ねが一生であるなら、一所懸命があって、一生懸命につ ながっていく。つまり懸命に生きるとは、どんな時も瞬間に手を抜かない!という一所懸 命の積み重ねである。 これからの人生、富士山で頂いたこのメッセージを胸に、時に厳しく、難しいこの取り組 み姿勢から逃げたり、妥協したりすること無く、出来ていなければ懺悔する、そのような あり方を実践したい。 今回の富嶽両界峯入修行、厳しい修行となりましたが、宮元会長をはじめとした大和修験 会のみなさま、サポートしてくださった方々、応援してくださった皆様のおかげで無事成 満させて頂きました。末筆ながら厚く御礼申し上げます。