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「令和五年度大和修験会富岳両界峰入りに参加して」

神職 新田 慈修

 私の中で、富士山に対しては相反する二つのイメージがある。一つは見ると安心する身近な印象で、いま一つは登りたくてもご縁がない遠く遙かにある印象である。
三重県に在住しており、天気の良い日には常日頃法螺貝を練習している海岸より富士山の山影を拝することが出来る。その他、各地を尋ねると富士山にまつわる名所旧蹟に出会うことも多く、身近な存在であることに気づかされる。かくいう私が奉仕する神社背後の山も、古くより浅間信仰に関わる山であり、境内の富士塚からは地元の方々の富士山に対する崇敬心がうかがわれる。今年七月に父が他界したが、父は静岡県に住んでいたこともあり、富士山が大変お気に入りであった。新幹線などで富士山の近くを通るときは、お供えといって酒の小瓶の封を開けているのを幾度となく見たことがある。こうしたことから富士山には親しみを感じる身近なイメージがあるのである。
一方で、冒頭述べたように、上りたいと思っても中々上ることを許されない遙か遠くに聳え立つ縁遠いイメージもある。そんな中、知人の紹介で富岳両界峰入りに参加することが出来た。以下拙い文章ではあるが参加して感じたことなどを記してみる。
十月六日夕刻、前泊のホテルアムスに到着する。宿には前泊の参加者が集まっており、玄関の荷物はいかにも修験者を連想させる金剛杖・斑蓋・白リュックなどが置かれており、明日からの修行を今や遅しと待ちわびているようでもあった。ミーティングでは顔合わせや行程の説明などがあった。期間中の悪天候が予想されることもあり、どことなく非日常的な緊張感が漂っていた。
十月七日早朝、水垢離用の褌を締め、白衣を羽織り、ホテル前庭に集合する。荷物をサポート隊の車に載せ、出発の準備を進める。移動を伴う修行でこのようにサポートをしていただく体制があることは大変ありがたいことである。その後、鈴川海岸にて水垢離を行う。海岸からは富士山が望めたが、数日後自分が居ることが予想できないほど頂上までは距離があるように感じられた。
水垢離の後、富士塚勤行、吉原商店街店頭祈願を行う。地元の方々がこれから富士山に全行程を歩いて登る我々を応援してくれたことが印象的であった。「代参」という言葉があるが、どこか登拝を任されているような気がした。
日吉浅間神社での参拝・奉納行事を行う。同行者と共に朝日舞を奉納し、大変貴重な経験をさせていただいた。奉納には金品を初めとする物体あるものが第一に思い浮かぶが、技芸など、形無いものを神前で行うことも奉納に含まれる。何れにしても心を込めて神明に捧げるということが大切なのであると改めて感じさせられた。
興法寺大日堂での勤行。勤行では大前に木札が積み重なり、この修行が参加者だけのものではなく、祈願を託した願主も含め、関わる人々全体が思いを寄せるものであるということを考えさせられた。
十月七日早朝、村山ジャンボ出発。本日は村山口より五合目まで歩く。歩きながらの法螺貝にも少しずつ慣れてきたが、上りもきつくなり、数日前に麓より拝した急峻な山を登拝していることを実感する。休憩場所に数珠を忘れてしまい、サポート隊の方々にも迷惑をかけてしまった。自身の身の回りのことを注意し、気持ちを緩ませないようにしていきたい。数珠は念珠ともいうが、数々の思いや思い出など「念」が込められていくものだということを考えさせられた。また、行中の様々な出来事から物事の意味についても気付くことが出来るようにしたい。
宿泊場所では大先達より歩きながら法螺貝を立てることが大切であるとのことを教えていただき、山中での修行の大切さに改めて気づかせていただいた。長い距離を歩くことには比較的慣れていると思っていたが、衣体を着替えると足に肉刺などが出来ていた。行中に知り合った同行者よりテーピングを頂く。何度も参加する中で蓄積された経験や、団体で修行を行う中での協力の重要性を感じた。
十月九日早朝、五合目より頂上を経て六合目里見平星観荘を目指す。この日が行程の中で天候・足場ともに最も厳しい一日であった。登拝中は掛け念仏を唱え、只管に「上る」ということに集中し、隊列一丸となって目的地を目指した。このように厳しい環境にさらされ、会長の励ましの言葉を聞くことで初めて実感できることがあった。それは「人生命がけ」ということである。日々日常を過ごしていると、当たり前のように朝が来て、夜になる。しかしながらよく考えてみると、その生活は当たり前のものではなく、些細なことで崩れてしまう。人の人生を「生涯」というが、「生」は「生きる」ことで「涯」は「かぎり」の意味であるから、文字通り本来命がけであるはずである。こうしたことに気づくことができたことは大きな収穫である。
十月十日早朝、六合目里見平星観荘より青木ヶ原樹海を経て精進湖を目指す。この日は昨日までの疲労蓄積もあったが、どこか山場を越えた安堵感があった。下り道が続く中でこれまで上ってきた道のりが思い出される。新客修行では峰入りの中でも特に非日常を感じさせられ、富士信仰の神秘的な側面に触れることが出来た。道中の拝所で、祠の崩れかけていた覆い屋が修理されていた。昨年は修理されている様子は無かったという。一年に一度の両界峰入りで勤行の後に碑伝を置いていくが、これが修理のきっかけになったようである。このように信仰というのは生きた祈りの連続の中で生まれ、伝えられていくのだということを考えさせられた。
以上道中の出来事や感じたことを記してきたが、今回の修行に参加して最も考えさせられたのは、「日常」と「非日常」との関係である。遠くから富士山を見るという日常と、厳しい環境の中で富士山に上るという非日常、富士山を海から頂上まで全行程を自分の足で歩くということを通じて、日常は非日常と連続したものであるということを体感出来たのである。登拝中に「人生命がけ」ということを考えたが、この気持ちを忘れずに里の行にも精進していきたいと思う。
末筆ながら行中ご守護を頂いた富士山の神々に感謝すると共に、お導きいただいた会長初め大和修験会の皆様に御礼申し上げます。