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富士山修行「冨嶽両界峯入」に参加して

真言宗 行光院 野尻真弘 様

「今度富士山登るんやけど行ってみない?」
「うん。登ったこと無いから行ってみたい!」
そんな感じで神職をしている知人の誘いを受け、ほとんど軽いノリで即答したのが今年7月2日のラインでのことでした。

(今思うにそこからがこの修行の本当の意味でのスタートなのでしたが。)

それから、8月23日になって、差出人が見慣れない「大和修験會」の大きな封書が到着しました。
差出人名の上には冨嶽両界峯入修行奉修とあり、富士山の絵が。ようやくピンときました。
“そうだ、富士山に登るんだった!”

私のもとに封書が届いたのは件の知人が案内の送付を大和修験會にお願いしてたからでした。
斯様にこの時点まで、全く情けないほどに自覚が無いというか、自分が何に申込み、これから何をしようとしているのか判っていない、いい加減のんきそのものだったのです。

ところが封書到着のお礼を知人に伝えた後、封を切り中身を見てびっくり。
チラッとは聞いていたのですが…。
“本当に海から登るんやん…”“しかも褌ひとつで海岸で水垢離からって…”
“富士山頂の到着が3日目って?山頂まで3日かかるってことよね←(当たり前だが)”
さらに案内に添付されていた写真が真実を雄弁に語り、いやが上でも突きつけられるリアリティに目は釘付けです。

そこには、鈴川海岸で一列に並び褌姿で一心に拝む行者達の姿、吉原商店街でのお加持で一生懸命手を合わせる店主の姿、宝剣作法や勤行、御来光に照らされ輝く行者の姿。等々。

すると何とも言えない、背筋が痛くなるような緊張(戦慄です!)と同時に全身に血が漲るのを感じます。
ワクワクするようでありながら、人生初めての峯入案内を手に動揺が残るなか、そしてこの時点になって今更ながらやっと気づかされたのでした。
自身が何に申し込み、何をしようとしているのか?
“ああ。これは修行なんだ!”“単に富士登山ではないのだ”
紛れもなく「聖護院門跡末 龍禪院 大和修験會 第11回 冨嶽両界峯入」に参加しようとしているのだ!と。

実際に富士山での修行がはじまってみると改めて、峯入初心者、殊に私の様な無自覚な者にとっては、修行の準備に入る段階、修行の入口に立ったこの時点でこのような気づき(覚悟なのかも)を得られたことは、一連の修行の成否、成満できるかどうかのカギのひとつであったように思われます。

秋のお彼岸を過ぎるとあっという間に9月も下旬を迎え、いよいよ峯入!となりますが、頂いた案内をもとに、衣帯や必要な物品の準備を徐々にすすめていくと、同時に心も準備されてゆくようです。
それは、その準備という行為が、たとえ自身が経験したことの無い未知の修行であっても、あくまで修行として成満させたいと願い、何度も何度も頭の中でシミュレーションしては成功を祈る、心の作業でもあったからなのかもしれません。

そうして、一時は「猛烈な」だった台風が「非常に強い」になったものの、10月1日 田子の浦 鈴川海岸での水垢離に合わせるかのように最接近する最中、いよいよ富士山修行:「聖護院門跡末龍禪院 大和修験會 第11回 冨嶽両界峯入」の幕開けです。
静岡入りする前から台風が接近していることは判っていましたので、修行のいちばん最初、はたして大荒れの海岸での水垢離は出来るのだろうか?山での風雨は大丈夫なのか?等、心配でいろいろなことが頭をよぎりました。

しかしながら、にもかかわらず、一瞬の油断もならない緊張感のなか水垢離は見事完遂されました。そして、おかげで海の力によって心身無垢に清めて頂いたうえ、富士山山頂を目指すことができました。
この度の台風にまつわる心配は全て杞憂に終わらせることができたのです。
さらに言わせて頂けば、この台風の通過があったからこそ、富士山は稀にしか見られないような好天(大先達仰るに)で私たちを迎えてくれたのかもしれません。
そもそも思えば、コロナ禍が急激に下火となり、驚くほど脅威が弱まり、おかげで今回声を掛けてもらい、福岡から参加させて頂く機会に恵まれたのでした。
こうした、我々には因果が全く不明、分からないことや、予測することが出来ないことは、この修行期間中思い返せばたくさん出てきます。
不思議を頂くとはそういうことなのでしょう。

さて、新客の私を含めた山伏の一行は大先達を筆頭に文字通り一行で山中を進んで行きます。進むなか、途中でふと足元から目線を先のほうにやると、山のモヤや鬱蒼と茂る森の木々の暗がりで先頭のほうがぼんやり、見えなくなるような状態があります。
幻想的に。あたかもモヤの中、或いは闇の方に向かって消え入るように一行が進んでいくように感じます。
するとそのうち、かつていにしえの山伏が連綿と続けてきた姿が現実の私たち一行と重なり、やがては自身もそのうちの一人として加わっているのだと感じられることがありました。
いにしえの山伏行列の中に自分の姿を観るような。まさしく時間や空間を超えるような感覚。のみならず、先人が大切に絶えることなく続けてきた営みを引き継ぐ一員になったような(新客ですけど)感覚に胸が熱くなりました。

こうして峯入修行は進み、気が付けばあっという間に無事山頂へ到着。
思いがけずあっさりと到着した印象でしたが、これは“稀に見るような”好天に恵まれたこともあり、「苦心惨憺の末に…」でもなかったことが大きいのでしょうが…。

当初この峯入修行が始まる前は、「富士山に登る」とだけ考えていましたので、それからすれば、頂上への到着は唯一最大の目標達成に大感動!となるところです。
ところが、この修行としての富士山は明らかに違います。山頂への到達は確かに大事なことなのでしょうが、唯一最大の目標では無い、と思えるからです。
山頂到達以外に得るものがあまりにも多く、大きいと感じるのです。
そのあたりが山頂での“あっさり感”に繋がった大きな理由なのだと思います。(まあ、その割に後から見る山頂の碑の横で撮った写メがやたら嬉しそうなんですが!)

修行3日目にしてようやく山頂に到達しましたが、そのあとは下山です。早いものです。
延々と続く青木ヶ原樹海を抜けながら、“ああ、もう終わってしまうのか?”と名残惜しいような気持ちと、厳しい山の世界を後にする安堵の気持ちの間でふと考えました。
「生きるうえで本当に大切なことって何だろう?」

美味しいものを食べること      違う
お金を稼いで欲しいものを買うこと  違う
頑張って地位と名誉を手にすること  違う

どれも喜びや幸福に結びつくものかもしれないけど、「大切」なこととは違うような気がします。
普段の生活のなかで私たちは喜びや幸福を追求し、無意識のうちにも常に人と比べてしまっています。
しかし富士山のようなところでは美味しいものやお金、贅沢品、地位や名誉はあまり意味を成しません。それどころか不要、邪魔にさえなり得ます。
様々な無駄を究極までそぎ落とした、或いはそれを許さない厳しい世界とも言える富士山においては、“生きる”という行為についても無駄を許しません。
生きるか死ぬか。シンプルの極限。人間の無力さをいやというほど思い知らされる世界でもあります。
その世界に実際に到達して、その世界の本質に思い至った時、気づかされます。
大切なこと、必要なことは「祈り」なのだと。
委ねるしか術のない世界で奇跡的にでも“生きる”ためには、もはや「祈る」しかないのではないでしょうか。

翻って今現在私は福岡へ帰り、あっという間に修行前の日常モードとなり、しみじみと富士山修行を振り返っています。

それにしても、私たちにはどんなに探しても見つからない、どんなに願っても叶わないものがあるのではないでしょうか?
私にとっての冨嶽両界峯入修行は本来まさしくその最たるものだったのではないか?と思うのです。
そうであるからこそ、知人から声掛けを頂き、訳もわからないまま簡単なノリで引き受けたこと、そもそも声を掛けてくれたことから、この修行は始まっているのだと思えるのです。
末筆ではありますが、この度新客としてのみならず、峯入り自体初めての者を迎えてくださり、宮元会長をはじめとする大和修験會の皆さま、同行の皆さま誠にありがとうございました。心からお礼申し上げます

そしてお祈ります「どうかまた来年富士山へ行けますように。」