冨嶽両界峯入修行に参加して
江﨑 昌典
参加を決めるまで
昨年、転居し、今は自宅(横浜)から遠くに富士山が見える。手前にある丹沢のごつごつした山塊の稜線が、富士山の優雅な美しさをいっそう際立たせている。関東では「一度は富士登山を」と志す人が多いと聞くが、私は九州の出身で富士山は身近な存在でなく、そのような思いはなかった。
「いつかは富士登山をしたい。」と言ったのは私の妻であった。横浜出身の妻の富士に寄せる思いは強く、夕焼けの空をバックに照らし出される富士山の影を見るにつけていっそう募っているようであった。「いつかは」というのは、登れる体力がついたらということだ。
冨嶽両界峯入修行は偶然にネットで知った。
「修行」というと、一般の方はやや引いてしまうのではないだろうか。しかし、吉野の金峯山寺で催される大峯奥駈修行への参加が恒例となっている私に「峯入修行」という言葉は一般的なものであった。
大峯奥駈修行は、70キロにもわたる峰々の縦走と祈りであり、肉体的に厳しいのは勿論のこと、危険な岩場の修行があり、修行者は精神的にも張りつめている。しかし、僧侶であれ、俗であれすべての修行者の一体感と達成感、そして自分があたかも神仏にまみえているような不思議な感覚は通常の登山では味わえない醍醐味である。その醍醐味は、修行が相応に長く、厳しいものでない限り、なかなか得られるものではない。冨嶽両界峯入修行は、高低差は勿論のこと距離においても日本一であり、きっとそのような修行だろうと思った。
メールで資料請求を行った。大和修験會の代表者である宮元隆誠氏(以下、宮元會長)から資料請求のお礼に続き、熱いメッセージをいただいた。そのメッセージは短いものであったが、私には次のように読めた。
(以下、いただいたメッセージに私が理解した内容を加えて書いています。)
-人生は一度きりです。自分自身の「死」を見つめ、その立場からもう一度、「生」を見直して精一杯生きていくことが大事です。そのためには積極的に、果敢に何かにチャレンジしていくことが必要です。それが人としての成長を促してくれるのです。冨嶽両界峯入修行は厳しいですが、そのチャレンジとしてふさわしいものです。是非、私たちと一緒に修行しましょう。-
私は日程調整をしてすぐに申し込んだ。
修行を終えて
実は、参加1週間前に富士山5合目小御嶽までドライブで下見に行ったのだが、5合目のインフォメーションセンターに入ると、9月30日午後1時の山頂の気温がマイナス2.7度と書かれていた。インフォメーションセンターの方に「来週、山頂まで登るんです。」と伝えると、「山小屋も閉まっているし、トイレも使えない。登れないと思いますけどね。(それでも登るのなら)まあ、せいぜい注意してください。」と冷たく返えされた。軽装備での登山者が多く、事故につながることが多かったための発言だったとは思うが、夏の峯入りしか経験にない私は少し不安になっていた。
しかし、修行は初日こそ雨となったものの、翌日から天気は回復し、さらに幸運にも登頂した日は、日本全体が季節外れの夏日となり、山頂も寒くならなかった。
聞けば、不思議なことに、冨嶽両界峯入修行では、4度に3度は天候に恵まれるとか。
宮元會長の宝力の故か、富士の神仏が修行者に道を開くということなのであろうか。
お陰様で、ご来光や月の美しさ、空の青の深さ、存在感のある雲のいずれも見ることができた。紅葉を楽しみ、落ち葉の絨毯の上を歩きながら、木漏れ日に美しく照らされる緑豊かな樹林帯を経て、洞穴の不可思議を体験し、精進登山道を経て精進湖にいたるまでずっと天候に恵まれた。
初日はアスファルトの上の長い工程の厳しさ、雨と寒さ、果たして登頂できるかという不安を感じたし、3日目は山頂への傾斜はきつく、登頂後の下りの長いことには閉口したが、そういったことは吹き飛んでしまうほどに素晴らしかった。
富士山は、季節を選べば、登山経験が豊富な者でもそうでない者でも同じように受け入れてくれる。登山道も十分に整備され、危険も感じられず、登山技術の巧拙を問うことはなかった。しかし、気温や気圧、酸素の薄さ、紫外線などは過酷であり、死の危険性さえ帯びている。富士山の前にはどのような人もただの人なのだ。
そのような富士の「大きさ」を感じるとともに、私は今回の修行の行程が人生に似ているように思った。ちょうど今の私は、52歳で、ちょうど山頂から下山するあたりの時期ではないか。「一歩一歩、焦らず急がず着実に安全に下っていこう。そうすればいつか美しい緑豊かな道にきっと至る。」富士は私に生きていく上で大切な教訓を与えてくれたような気がした。
縁あって同行となった方との出会いは、修行のひとつの側面である。
修行を終えて、本当に良い修行をさせていただいたという感謝の思いを大和修験會(ご支援いただいたご家族の皆様を含みます)やそれ以外の同行の皆様に対してお伝えしたい。
宮元會長をはじめ大和修験會の皆様の富士山やこの修行に対する思いの深さにはいたく感銘を受けた。冨嶽両界峯入修行は7年前に宮元會長と内田先達が一から作った修行行程だと聞いている。日々のお勤め、ご奉仕に加え、この修行を継続実施していくことはさぞ大変であっただろうと思う。
宮元會長をはじめ大和修験會の皆様は、新客にも心遣いが細やかで修行に専念できる環境をつくってくれた。修行中に、参加者が雨でずぶぬれになり、寒さと不安から心が折れそうになった時、宮元會長と奥様が自分の休む時間を犠牲にして衣帯を乾燥機で乾かしていただいたり、参加者のリュックが少しでも軽くなるよう、夕食後6合目の山小屋から5合目の駐車場まで不要な荷物を運んでいただいたり、本当に思いやりあふれる行為が随所に感じられた。また、修行によっては、写真は寺院の記録用のみ撮影が許されるということがあるのだが、修行中、随所で撮影をした写真は、後日ラインで送っていただけた。一般参加者にとって、修行の写真は、時に自分を支えてくれる「記憶の証し」となる。家族に話すにせよ、自分自身で修行を振り返えるにせよ、見えるものがあることは大きいのだ。それに応えてくれる暖かさも感じた。個人的には、1年半くらい前から始めたのだが他宗かつ初心者であるにも関わらず、修行中の吹奏を快く承諾していただいた。残念ながら十分に鳴らなかったけれど、良い経験をさせていただいた。
新客も神職や修験の修行経験者が多く、修行に真摯に向き合う方たちであり、峯中のマナー(挨拶や他の登山者のために道をあけるなど)もよく、大変、気持ちよく修行できた。
印象深かったのは、初日の吉原町商店街の祈祷修行のことだ。新客の多くが、祈祷が終わるごとに施主に「ありがとうございました。」と言っていた。その一言は、不動明王と一体となって祈祷することによって得られるありがたい何かを感じるからこそ自然と出る一言なのではないだろうか。それは、新客も含め行者が一体となっていることの表れだと思った。
最後に、冨嶽両界峯入修行を無事に満行できたとことを冨嶽に居ます神仏に感謝申し上げて筆をおくことにしたい。冨嶽両界峯入修行を勧めるかと聞かれたら、私は、きっと「行程はそれなりに過酷です。しかし、覚悟をもって参加するのであれば、だれに対しても大いにお勧めします。」とお答えすることだろう。