1. HOME
  2. 冨嶽両界峯入に参加して

冨嶽両界峯入に参加して

神仏という語句は畏れ多く、また修験の世界に身を置く人々にとってはなじみ深く、さらに敢えて語弊を恐れずに言えば、ある意味枕詞的な記号として機能する語句ではないだろうか?
「神仏の御加護」、「神仏のお導き」といったように使い回され、以前は食傷気味とすら思えていたこの語句に対して、今の私が建前を排して真摯な態度で向き合えるようになったのは、2017年から数えて早8年、大和修験會の冨嶽両界峯入に参加させていただいている御蔭である。
そして今回、今までで最も過酷で身の危険すら覚えた富士山の登拝が叶い、精進湖まで歩き通せたのは、我々の安全を切に願って下さった御法縁の方々の御蔭は言わずもがな、自分自身が先の神仏という語句それ自体を単なる意味としてだけに留めず、真に己が体感の中に捉える心構えとして確立できていたからだと、今胸を張って言える。
富士山や石鎚山での経験を通して、かつての私が修行記で宮元会長の言葉を借りて幾度となく述べてきた数々の霊瑞への理解と心構え、それらを以ってして正に命懸けで修行に入り、同行同志と共に神仏の懐に抱かれるという誠に有り難き体験を記した感想文に、どうか暫しの時間お許しをいただき、お目を通していただければ幸いである。
快晴の第一日目、富士市吉原商店街での恒例の御加持は去年よりもさらに3軒増え、また日吉浅間神社に於いては内田副会長の宝剣作法四方堅めの手前に、新たに伊藤先達と新客新田さんによる神事舞が奉納された。
ただ歩くだけではない、水垢離から始まる初日だけを振り返っても素晴らしく充実した内容である。そのような盛りだくさんの内容にも関わらず、スムーズに事が進むのは、我々メンバー間の中で自然と協同の和が出来上がっていて、毎年改善が重ねられてきた結果でもある。体力差や社会的立場は違えども、本気で行に向かう志は同じである。
特筆すべきは會旗の寄進である。今回で3回目の参加となる野尻真弘師からの寄進を受けて、同じく本会の渡邉剛広氏が手縫いでそれを仕上げて下さった。彫金等細部に渡っての精巧な手作りで、この真新しい會旗が富士山を背景にした富士塚で青空にたなびく姿に、我々一同は俄然志を高めたのであった。
また、興法寺大日堂では、有難いことに毎年増え続ける特別祈願・回向を勤修。自坊の檀家様や志納者の方々の尊顔を思い浮かべ、私は太鼓にありったけの気込みをぶつけながら一心に大音声で読経させていただいた。
第二日目の昼頃からは天候が崩れ、村山古道を進み五合目でこの日の歩みが終わるころには土砂降りの雨になっていた。ちなみに、村山古道終盤の倒木帯は本会の土屋先達を始めとするボランティアの方々の手によって年々倒木の処理が進み格段に歩きやすくなっている。
明日になれば、この第二日目の雨が奇跡的に止んでくれていることをふと気安く願いそうになったが、そんなことよりも、最悪の天候になった場合でも自分たちがどこまで修行を続けることができるのか、その見極めと準備に余念がなかった。
第三日目は午前1時半に起床。2時半に土屋先達自らが手配しハンドルを握るマイクロバスに乗り込み、昨日登り切った五合目の駐車場まで戻る途中、各々が神妙な面持ちで自問自答を繰り返しているが故の沈黙に支配された車内の空気は、唐突に不穏な暴発音と僅かな衝撃によって引き裂かれた。
直後は何か障害物や獣にぶつかった可能性が考えられたが、前から2列目に座って前方を注視していた私にも視界には何も異常は認められなかったので、内部の駆動系の異常が考えられた。
私よりも前方、仕様としては添乗員さんが座る席で、暗い山道の走行の補助をされていた宮元会長が、ご自身の経験からターボエンジンのタービンのアウターのゴムパイプが抜けたことを疑われた。土屋先達も同調し、原因がそれであるならばもう少し斜度が上がればスピードが出なくなる可能性を指摘された。
案の定、3合目の手前あたりからバスは失速し始め、宮元会長は即座に車両班の香芳理さんに電話でピストン輸送に備えるための指示を出された。さらに斜度が上がれば、最悪バスは五合目にたどり着けないかもしれず、たとえ車両班の香芳理さんと渡邉さんが合流してピストン輸送をしたとしても、1時間を超える大幅な遅れが予想された。窓の外は昨日にも増して雨は強い。悪い天候の上に思わぬアクシデントが重なり、車内の一同がバスの速度に気を揉む中、普段は幼稚園のバスの運転手もされている土屋先達はアクセルを絶妙な踏み加減で調節してギアを上げすぎないようにし、見事なテクニックで我々を五合目駐車場まで送り届けて下さった。
スケジュールと現時刻を照らし合わせても20分ほどのロスで、なんとかこの災難を乗り切ることができたのだった。だが、もうお察しの読者も居られるかも知れないが、大和修験會にとってこういった出来事は正に神仏の御印なのである。その事を我々一同はいちいち言葉には出さずとも、神仏が我々に対してより一層の気の引き締めを促されていることは、各自の胸の中で明白に意識されていたことだろう。
実はこの時、もう一つの御印が今回ヨーロッパのオーストリアから参加されたクリスさんの心の中にも現われていた。クリスさんはこれまでにも吉野山の龍泉寺の大峯奥駈修行や東北各地での修験の山行を経験され、また武道家であり母国では60人もの生徒を指導される師範でもある方で、一昨日も昨日も軽快な足取りで行を共にし、英語で気さくにコミュニケーションを取りつつも余計な私語をせず内拳で黙々と歩みを進める我々の士気の高さにいたく感銘を受けられていた。
しかし、装束を整えバスに乗り込んだクリスさんの体調は高度が上がるにつれて悪化し、バスのアクシデントの手前から感じていた眩暈も強くなっていたようだ。後でご本人から聞いた話だが、この時、「行かないほうがいい」という内なる声に従わざるをえなかったそうである。その声の通り、クリスさんは堂々と宮元会長にバスに留まることを伝えられた。宮元会長は一度きり、その理由だけを尋ねられたが、後は何かを察したようにそれ以上クリスさんを強く促すことはされなかった。
客観的に見れば高山病の予兆であったのであろうが、修行はけっして強いられるものではなく、ましてや体調不良を隠して無理をすることは、後々全員の行動に支障を及ぼすことになるやもしれず、この時のクリスさんの選択を私は今でもマイナスには捉えておらず、むしろ完全に正しい判断を下されたクリスさんに深く敬意を表している。
全席の忘れ物の確認を済ませ、クリスさんと握手を交わし、私は彼の気持ちも預かって登る意気込みで、武者震いのように湧き上がる興奮を諫めながらバスの外に出た。新調した、防寒と乾湿作用が謳われる冬用のインナーに白衣と鈴懸を着用し、その上からセパレートの防水ウェアで全身を雨から凌いでは見たものの、それでも全身に打ち当たる雨粒の冷たい感触が感じられる。敢えて、今まだ手袋はしていない。さらに標高が上がり8合目あたりからの極寒に直面した時乾いた手袋をつけるつもりでいた。雨はやがてみぞれに変わり、風はさらに吹き上げてくることだろう。だが、待ち受ける峻嶽の頂きこそ神仏の懐である。神経を研ぎ澄ませ、水たまりで足を少しでも濡らさぬよう、森林限界ギリギリの五合目を後にした。
やがて視界は明るみはじめ、ヘッドライトに頼らずとも歩行は可能になったが、やはり風は増し、気温は0度に迫っている。この日の為にランニングで鍛えてきた体力は有り余っているのに、汗なのか浸水してきた雨水なのか、とにかく濡れた体に体温の維持が追い付かない。
8合目の閉鎖された山小屋の前で休憩を取った。例年なら束の間の小休憩がありがたく感じるのだが、この寒さの中では体をじっと休めてはいられない。立ち止まりつつもその場で地団駄を踏むように自ずと体を動かしてしまう。防水スプレーを塗した地下足袋にはとっくに雨水がしみ込んではいるが厚手のソックスの甲斐あってか、比較的冷たさは感じられなかった。問題は体の芯と指先だった。
八合目より少し手前で、我慢できずに歩きながら手袋を嵌めた。けれども予想以上に浸水が早く、既に中まで濡れてしまっている。凍てつく風が地肌に直接当たるよりは幾分ましなようだが、それでも指先はかじかんで笠の顎ひもを結ぶことすらままならない。元来人より寒がりな自分は、この度の富士山にあたってあまり体重を落とさず、?せすぎないことを心掛けていたが、やはりこの選択が当たって何とかギリギリのところで踏ん張っていることができた。
食べ物については完全精進の為、蜂蜜やおにぎりなどで各自栄養補給を済ませ、また歩き始めるのだが、もう黙って歩いていられないほど、私の感覚に押し寄せてくる寒さはそれほど切羽詰まっていた。とにかく熱を出さなければ! そして仲間の士気を高め、怒りでもなんでも常に意識を覚醒させていなければ、この先の峻厳な斜度は真後ろへの転倒が危ぶまれる。
九合目を過ぎた頃、その先の急な階段道には雪の吹き溜まりが待ち構えていることを西川大先達は予見された。それを避けるため、我々は吹雪の中、視界が悪くその先の折り返しすら見えないつづらなブル道を六根清浄の山念仏を掛け合いながらひたすらに登った。山念仏の発頭をする私の声は、もはや僧侶の品格のような気品を纏う余裕はなく、只々我武者羅に「ここで死んでたまるか!」という何に対してでもない怒りに燃えた、生への執念にたぎる一介の凡人の意地とも言えるがなり声であったと思う。大袈裟ではなく、言葉通りあと一歩で死線を越えていたからこその踏ん張り。怒鳴りながら、喚きながら士気を落とさず、我々は遂に頂上にたどり着いた。
例年であれば、コノシロ池の隣の不動明王の前でしばらくの間座って回向勤行へと移るのだが、この度の登拝でそれを行うと、流石に低体温症で命に関わる。致し方なく、凍え切った手でバックからやっとの思いで取り出した碑伝を合掌で握りしめ、泣きじゃくる赤子のような叫びで不動真言を一度だけ唱え全員で一礼をし、不謹慎な表現にはなるが、自らの生そのものを不動明王の御前に叩きつけるかのようにして、その場を後にした。
ところで、八合目の時点で宮元会長と西川大先達との話し合いで決定していたことだが、不動明王の箇所から剣ヶ峯へと登らなかった選択が、後になって本当に命を分けていたと思うし、あの状況で逆に悦に入って死線を越えるという自覚を忘れることがなかったのも、先に述べたバスのアクシデントの御印を頂いていたからこそだと切に思うのである。
そんな極限の状況の中、西川大先達は冷静沈着で落ち着いておられた。また、そもそも登山ルートが閉山中であるにも関わらず、我々が修行させていただけるのも、富士山の正式ガイドの資格を有する西川大先達の存在あってこそなのだ。
浅間奥宮から30分ほど経った頃だろうか、場所によって20cmは積雪をしている御鉢を反時計回りに半周ほど歩き、吉田ルートの下りが視界に入った時、正直救われた気がした。しかしなんと、ここで西川大先達は後方からやってきている長道副会長と秦先達を待つ、いや奥宮まで戻って迎えに行くと仰った。長道副会長と宮元会長とは連絡が取れており、お二人は順調に追いついているらしかったが、西川大先達はガイドとして慎重を期して、サポートに向かわれる決断をなされたのだ。あの時の西川大先達の眩しい頼もしさに引き換え、私の姑息な安堵感は今も居心地が悪く私の胸の中でくすぶっている。
午後4時頃だっただろうか、星観荘に到着した本隊から遅れて20分弱で、西川大先達はじめ御三人の姿が見えた。特に長道副会長と秦先達に於かれては、いくら凄まじい体力といってもあの寒さの中をさぞ心細くお二人で励ましあいながら下山口まで進まれたに違いないと思っていたが、なんとお二人の間隔はかなり離れていたようで、そのことを涼しい顔で話してくださった秦先達にも、私にはまだまだ足りない精神力というか天台密教僧の底知れぬ法力を感じずにはいられなかった。
このように冨嶽両界峯入の中で最大の、正に山場である登拝を終えて、続く第四日目も一同怪我無く無事に精進湖へとたどり着くことができた。
そして、私が高知に帰り着いた次の日、自坊の大瀧山で草刈りをしている最中、宮元会長からの電話が鳴った。
どうやら、今年の静岡新聞では大々的に取り上げるのが難しいらしく、というのもちょうど我々が行に入った第一日目、栃木県の朝日岳で男女4人が低体温症で亡くなるという痛ましいニュースも重なり、このような山修行を報道することが自重されたのであった。
しかし、その反応を受けるより先に、今回の登拝を経験させていただいた宮元会長や私の心の中には、例のバスの件に始まりクリスさんの断念、そしてあの過酷な寒さの意味を真剣に捉え、そこから何かを見出さなければという強い自覚があった。
防寒対策の見直しやスケジュールの再考等、最後の直会でも様々な意見が出たが、電話の中で最終的に宮元会長が出された結論は、開催時期を思い切って7月の初旬の山開きに合わせることであった。つまり、第13回目に当たるこの度の冨嶽両界峯入が、秋の開催としては最後ということになる。
その意味も含めて、少々後付けになるのかもしれないが、私が今回お伝えしたい誠に有り難き体験とは、あのような極限の状況から生きて帰ってこられたということは勿論、その中で真に必死になり、咆哮さえ繰り返しながら踏ん張った己の本気さである。これからの人生、我々がその懸命さを決して忘れることがないよう、富士山の本地佛であられる大日如来は正に教令輪身の如くにして、それを我々の心に刻み付けて下さったに違いない。
我々は神仏の懐に抱かれ、己が生の尊さをこれでもかというほどに確かめさせられたのである。
まして況や、懸命とはその字の如く命を懸けることであって、決して命を軽んじて捨てることではない。さらに言えば、それは神仏に対して儀礼的な建前に終始することではなく、ありのままの己の生を本気で託す、究極の南無の姿ではないだろうか。その事を我が身を以って気づかせていただけた冨嶽両界峯入は今年一際有り難く、またそれこそが修験の真髄ではなかろうかと、恐れながら道半ばの拙僧は今強く思うのである。
最後に、今年もこの冨嶽両界峯入に自坊からたくさんの特別祈願・回向の申し込みを頂き、一つ一つかけがえのない想いと祈りを預からせていただき、また強く背中を押していただけたことに厚く感謝を申し上げる。また、行中常に我々を案じ、細やかな気配りとサポートに徹して下さった、宮元香芳理さん、渡邉剛広さん、土屋四郎さん、さらに大日堂、日吉浅間神社、吉原商店街の関係者の皆様方へ、合わせて心よりの御礼申し上げる。

令和5年10月18日 大和修験會 幹事長 大瀧山護国寺 谷 泰智