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  2. 令和六年冨嶽両界峯入修行に参加して

田之 上好勢

私は修⾏としてお⼭を登りたいと⽇頃から⼝にしていたところ、伊藤先達との御縁で冨嶽両界峯⼊修⾏へ参加できる運びとなりました。初めての修⾏が⼀度は登りたいと願っていた富⼠⼭になるとは本当に光栄であり感謝しかありません。しかしながら⾼低差、距離において⽇本⼀の修⾏に果たしてついていけるのか不安でした。

いざ始まってみると修⾏に専念できる様、宮元會⻑をはじめ⼤和修験會の皆様の細かい気配りや⾝の回りのサポートをしてくださる⽅々の⽀援を受けて不安な気持ちはなくなりました。皆様には感謝しかありません。

7 ⽉ 5 ⽇の初⽇は、静岡市では 37.8度と猛暑⽇となり、7 ⽇は全国で最も暑い猛暑⽇ 40℃となりましたが、よりによってなぜ修⾏期間に静岡が猛暑⽇になるのか?と歩きながらふと思い、そう⾔えば昨年はあまりの寒さで⾝の危険を感じたと話していたのを思い出し、「あぁ、与えられた試練なのか。富⼠の神仏が導いているのだ」とそう思わざるを得ない。

歩きながら順番に法螺⾙を奏でる。法螺⾙の⾳⾊は修験者の魂を静かに⿎舞する。その為に⼼を込めて⽴てるのだが後半になると唇が固まり、感覚さえも失う。吹鳴者としてはここからが正念場だが、やはり経験年数の浅い私の実⼒が顕になった。ここは来年の課題として考慮したいと思う。

宝永⼭荘を夜明け前に出発し、空が往々に明るくなり、やがて朝⽇のカーテンが現れる。朝⽇が⼤地を照らし⾵景に⾊彩が芽吹く。空気が澄んでる為か太陽の光がいつもより⼒強く、神々しく感じる。無意識に⼿を合わせてしまうのは修験者の魂に⼭岳信仰が根づいているからだろう。

初めての富⼠登⼭の為、⾼揚感がいっそうに増し実に楽しい。⾟い修⾏を乗り越えたからこそ楽しかったと⾔うのは分かるが、この時の私は⼦供⼼の様に純粋に楽しく、とてもじゃないけど修⾏が楽しいと⼝にするのは御法度のような気がしてならなかった。しかしそう思えたのも束の間で、旧富⼠⼭測候所からの下り坂で滑りそうになったのを耐えた時に腰を痛めてしまった。これから始まる下⼭は私にとっての正念場になったのは⾔うまでもない。⼀歩⼀歩、歩く度に体重が腰に響く。これまでの楽しい思いは何処へやら。⼈間⾟くなると何故ネガティブな事ばかり考えるのか。そう考えると⼈間はなんてひとりよがりな⽣き物だと痛感する。しかし、怪我を乗り越えてこそ⾒えてくるものがある。その意味で怪我は与えられた試練だったと思う。幸い野尻先達が楽しいお話をして頂いたお陰で痛みを忘れてほぼ下⼭する事が出来ました。野尻先達ありがとうございました。

精進湖が近くなるにつれ⾒ぬふりしていた私の体も悲鳴を上げていた。前⽇に痛めた腰痛はケアしてマシにはなったものの痛みはある。腰を庇う様な歩き⽅だとやはり無理が⽣じて無駄に体⼒消耗するし膝関節に負担が掛かる。そんな時に⼒強い法螺⾙の⾳⾊が魂を奮い⽴たせる。「よし!最後だ!気合いだ!」と私も⼒強く吹いてみる。

精進湖が⽬の前に現れた時、「あぁ、終わるのか」と、これ迄の修⾏の光景が⾛⾺灯の様に流れた。ここまで来れたのも新客であった私を迎え⼊れて下さった宮元会⻑をはじめとした⼤和修験会のみなさま、サポートしてくださった⽅々のおかげで無事達成する事が出来ました。末筆ながら厚く御礼申し上げます。